(佐藤亮太)
11月13日(土)、公式ホームページから「クラブからの重要なお知らせ」と題されたリリースが掲載された。
その「クラブからの重要なお知らせ」とは、2種登録された1998年から2006年までジェフユナイテッド千葉で、途中イングランドのレスターシティを経て、2007年からこれまで通算24シーズンを浦和で戦ってきたMF阿部勇樹の今季限りでの引退であった。その引退会見が14日、さいたま市で開かれた。
曰く オシムの申し子
曰く ボリバレント
曰く 寡黙ながら背中で語る男
曰く 浦和レッズの体現者
涙、涙。感謝、感謝の1時間06分の会見だった。
スーツ姿で阿部勇樹が壇上にあがった。席につき、言葉を発した際、すでに涙声になっていた。
途中、涙がこらえきれず、言葉をつまらせるシーンもあった。
引退の決断は誕生日前の9月上旬。引退会見を11月14日にしたのは「覚えていたのでぴったりだと思って」と2007年11月14日。初めて浦和がACL優勝を決めた日に日を揃えた。
そして綴られた24年間の感謝の気持ち。
影響を受けた2人の指導者。自身に何が足りないのかを常に考えさせるキッカケとなったイビチャ・オシム監督。そしてサッカーの楽しさ、面白さを教えてくれたミハイロ・ペトロヴィッチ監督。
そしてジェフ千葉時代の高校生でもJリーガーになれることを教えてくれたチームメイトで山口智(現:湘南ベルマーレ監督)、酒井友之(浦和レッズハートフルコーチ)。
さらに07年浦和に加入した以降、公私ともに支えたクラブスタッフ水上裕文氏などなど・・・そして「力を与えてくれた存在」とサポーターへの感謝を忘れなかった。
「応援したいただいた分、返さないといけないという思いのなかでずっと戦ってきました。悲しい思いをさせたシーズンもありました。なるべくみなさんが笑顔でなるような終わり方が毎試合、毎試合できればというのが自分の目標でありモチベーションでした。ことしで40歳になりますが、ここまでサッカーをやらせていただいた。ホントに感謝しかありません。自分が苦しい時に声をかけて頂き、それが何度も倒されそうになっても、ピッチでよみがえることができました。そのなかただの応援ではなく、ともに戦っているんだという思いをさせてくれた多くのサポーターに感謝しています」
普段、多くを語らない阿部が訥々と、それでいて素直な気持ちを語った。
今後、阿部は指導者の道に進むとした。
「逆に指導者の道に進まなければ、これまでの教えていただいた指導者に申し訳ない」とし「影響を受けた(オシム、ミシャ)おふたりの監督に負けないような指導者になりたい」と抱負を語った。
「すべてをかけてサッカーというスポーツをやってきました。もう…好きで好きでたまらないですね、サッカーは……」この一言が阿部勇樹を凝縮した言葉だ。
1時間におよぶ会見の締めくくりに2つのサプライズが待っていた。
旧知の仲である大リーグ・シンシナティレッズ所属秋山翔吾外野手、そしてジェフアカデミー時代の恩師である大木誠氏が花束をもって登場。阿部の涙腺は緩みっぱなしの会見だった。
なお、ホーム最終戦となる清水戦後、セレモニーが行われる予定だ。
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