鈴木啓太
まず、きょうの試合では、年間勝点順位で1位を取るチャンスがあったので、チームが勝つことを考えていた。ただ、個人的に大好きな埼玉スタジアム2002で、リーグ戦をホームゲームとして戦うことができるのは最後だったので、複雑な気持ちはあった。いつも通りに試合を迎えたけれど。

試合は途中、危ないなという時間もあったが、交代して入った選手がしっかりと点を取り、良い時の浦和レッズを見せてくれたので安心して見ることができた。なかなか最近の最終節は良い形で終われなかったので、早く試合が終わってくれればと思っていた。勝って良かった。

(自分の出場はなかったが)ミハイロ・ペトロヴィッチ監督とは、まずチームが勝つことを考えてくれと話していた。(思い出は)まだ全てが終わっていないので、最後に一番良い思い出を作りたいと思っている。浦和と契約した日。その時、小さな頃からの夢が1つかない、そこからの16年間は良いことも悪いことも全てが思い出になっている。(契約したのは)J2リーグ降格が決まる前(笑)。(良いことも悪いことも)プロサッカー選手になっていなければ経験しなかったこと。「サッカー選手として成功してやるんだ」と思った、浦和レッズに入った日のことを最近、思い出した。

(引退は)ありがたいことに、他の選択肢をいただいたこともあったが、自分の中では、浦和レッズ以外でプレーするというのは……。自分の心にうそはつけなかった。あとはコンディションの問題もあって。それを考えた時、ここでサッカー選手から離れると決断するということが、自分自身のやってきたことに対する答えだった。そこまでには迷ったし、まだ選手としてやれるのではないか、という思いもあったのも事実。

そういう思いの中で、一番好きなスタジアムで、みんなの前で発表できたことは、僕のわがままだったが、ありがたいことだった。ゴール裏のユニフォームはパジェロだった。ただただ、感動しかなかった。やけに古いなと思いながら(笑)。自分がまだ坊主頭の頃を思い出した。(あのユニフォームにはサポーターからの)どういうメッセージがあったのだろう。

僕がこれまでのキャリアの中で自信を持って言えることは、僕はチームのため、勝利のため、仲間のために全力で走ってきた。自分の中で「ここは負けない」「へただけど、ここは負けない」と思ってやってきたことだ。それを多くの監督が理解してくれ、また周りにはうまい選手がいて、僕が生きたのかなと思う。自分にマッチした時代にサッカー選手になれて、運があるなと思う(笑)。

(阿部勇樹と那須大亮による花束贈呈だったが)あの2人が並んで、こっちへ来るのは変な光景。手ぐらいつないできてくれたら、ね(笑)。彼らとは、同じ時間を共有した仲間。こうして同じチームになったが、プロに入った時からの仲間で、ライバルとしては、彼らよりも先にピッチを去るのは少し悔しい気持ちもある。彼らには本当にこの先も頑張ってほしいし、3人で花束贈呈の時に「まだまだあるからね。1月1日まであるから」という話もした。それが実現できるように、誰が欠けてもいけない。みんながチャンピオンシップに勝ちたい、天皇杯に勝ちたいという気持ちを持って、火曜日から練習に臨みたい。

(有賀久子)
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試合レポート|J1セカンドステージ第17節・神戸戦=鈴木啓太コメント|レッズプレス!!

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J1セカンドステージ第17節・神戸戦=鈴木啓太コメント

鈴木啓太
まず、きょうの試合では、年間勝点順位で1位を取るチャンスがあったので、チームが勝つことを考えていた。ただ、個人的に大好きな埼玉スタジアム2002で、リーグ戦をホームゲームとして戦うことができるのは最後だったので、複雑な気持ちはあった。いつも通りに試合を迎えたけれど。

試合は途中、危ないなという時間もあったが、交代して入った選手がしっかりと点を取り、良い時の浦和レッズを見せてくれたので安心して見ることができた。なかなか最近の最終節は良い形で終われなかったので、早く試合が終わってくれればと思っていた。勝って良かった。

(自分の出場はなかったが)ミハイロ・ペトロヴィッチ監督とは、まずチームが勝つことを考えてくれと話していた。(思い出は)まだ全てが終わっていないので、最後に一番良い思い出を作りたいと思っている。浦和と契約した日。その時、小さな頃からの夢が1つかない、そこからの16年間は良いことも悪いことも全てが思い出になっている。(契約したのは)J2リーグ降格が決まる前(笑)。(良いことも悪いことも)プロサッカー選手になっていなければ経験しなかったこと。「サッカー選手として成功してやるんだ」と思った、浦和レッズに入った日のことを最近、思い出した。

(引退は)ありがたいことに、他の選択肢をいただいたこともあったが、自分の中では、浦和レッズ以外でプレーするというのは……。自分の心にうそはつけなかった。あとはコンディションの問題もあって。それを考えた時、ここでサッカー選手から離れると決断するということが、自分自身のやってきたことに対する答えだった。そこまでには迷ったし、まだ選手としてやれるのではないか、という思いもあったのも事実。

そういう思いの中で、一番好きなスタジアムで、みんなの前で発表できたことは、僕のわがままだったが、ありがたいことだった。ゴール裏のユニフォームはパジェロだった。ただただ、感動しかなかった。やけに古いなと思いながら(笑)。自分がまだ坊主頭の頃を思い出した。(あのユニフォームにはサポーターからの)どういうメッセージがあったのだろう。

僕がこれまでのキャリアの中で自信を持って言えることは、僕はチームのため、勝利のため、仲間のために全力で走ってきた。自分の中で「ここは負けない」「へただけど、ここは負けない」と思ってやってきたことだ。それを多くの監督が理解してくれ、また周りにはうまい選手がいて、僕が生きたのかなと思う。自分にマッチした時代にサッカー選手になれて、運があるなと思う(笑)。

(阿部勇樹と那須大亮による花束贈呈だったが)あの2人が並んで、こっちへ来るのは変な光景。手ぐらいつないできてくれたら、ね(笑)。彼らとは、同じ時間を共有した仲間。こうして同じチームになったが、プロに入った時からの仲間で、ライバルとしては、彼らよりも先にピッチを去るのは少し悔しい気持ちもある。彼らには本当にこの先も頑張ってほしいし、3人で花束贈呈の時に「まだまだあるからね。1月1日まであるから」という話もした。それが実現できるように、誰が欠けてもいけない。みんながチャンピオンシップに勝ちたい、天皇杯に勝ちたいという気持ちを持って、火曜日から練習に臨みたい。

(有賀久子)
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