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練習レポート

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『My first J.LEAGUE〜Jリーグ誕生日おめでとう!』。OBと現役選手が語る

「練習レポート」は、大原サッカー場の模様を、ほぼ毎日更新するコーナーです


きのう5月15日は「Jリーグの日」。1993年の同日に開幕節が行われた記念すべき日だ。
浦和レッズは公式YouTubeチャンネルにおいて、「My first J.LEAGUE〜リーグ誕生日おめでとう!」と題した配信を実施した。

チームOBである土田尚史SD、名取篤アカデミースカウト、内舘秀樹ジュニアユース監督、鈴木啓太氏、現役選手から柏木陽介、伊藤涼太郎、武田英寿が参加し27年の誕生日を迎えたJリーグを語り合った。

まず「Jリーグ元年、開幕戦について?」の質問に土田SDが「サッカーで飯が食えることになった。日本リーグ時代は想像もしていなかった。開幕戦の雰囲気を感動したことを覚えている」と振り返ると、「観客がすごかった。大観衆の中で試合が出来ることがうれしかった」と名取スカウトは口にした。

すると当時11歳だった鈴木氏が「僕は地元が清水で当時はレッズが弱かったと記憶している(笑)」と言うと、「でもね、言いにくいけど前年は調子が良くて優勝できると思っていた。手応えを感じていたんだよ(苦笑)」と土田SDは切り返す。

その中、チームが成長し強くなった分岐点については95年のホルガ―・オジェック監督が就任した時だという。サッカーがシンプルでチームに約束事が出来て、勝利への手応えを感じたとのことだった。

そして現役選手に「初めてのJリーグ観戦についてや印象に残っていることについて?」の質問が飛ぶと、柏木は「やはりカズさんは格好良すぎた。カズダンスをやったし、Jリーグが出来たことで夢がサッカー選手になった。同じピッチに立った時は感動した」。続いて伊藤は「小学生のとき、セレッソ大阪のジュニアユースにいて、香川真司さんに憧れていた」。次に武田は「小学生のとき、ベガルタ仙台の下部組織にいて、当時はユアテックスタジアムで梁勇基選手、赤嶺真吾選手、ウイルソン選手が活躍をしていた」と思い出を話した。

Jリーグは、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で公式戦が中断。それに伴いチームも活動休止を余儀なくされ、選手は個々での自主トレーニングをしている。そこでOB陣が若手選手にアドバイスを次のように送る。

「今、自分が出来ることを考え、やることをやる」(内舘ジュニアユース監督)。
「限られた中でやることで、コロナ終息後に差が出る」(名取スカウト)。
「選手は難しい中で精一杯、取り組んでくれている。サポーターに良いプレーを見せようとするのを感じている」(土田SD)。

苦しい状況下だが、スポーツの力、そしてサッカーを真摯に取り組むことの大切さを述べていた。

配信の最後には、浦和を愛するファン・サポーターにそれぞれがメッセージを送った。
「コロナが終息をしたら浦和の街全体が盛り上がる。皆さん、頑張りましょう」(名取スカウト)。
「大変な状況ですが、もう少し力を合わせて頑張りましょう。選手はスタジアムで最高のプレーを見せてくれるはずです」(土田SD)。
「思いやりの心をもって乗り越えて、選手には埼スタで躍動して活躍して欲しい」(内舘ジュニアユース監督)。
「サッカーのない生活は寂しい。終息すれば人間が人間らしく生きる喜びを感じられるはず。サッカーで日本を元気にしましょう」(鈴木氏)。
「ピッチで戦う姿を見せ勝利を捧げたいし、何か出来ることを考えて街に還元できるようにしたい。ステイホーム、今、出来ることをやりましょう」(柏木)。
「ピッチでサッカーをして力を合わせ乗り切り、元気と笑顔を届けるために頑張ります」(伊藤)。
「再開に向けて準備をし、日本、埼玉の人を笑顔にするために頑張ります」(武田)。

来年の「Jリーグの日」には、明るいニュースと、選手がピッチで躍動する姿があることを私たちは願っている。

(石田達也)

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