悲喜こもごもの今季J2最終節で粋な演出があった。
新潟対町田戦の前半30分。町田FWドゥドゥの枠外シュート後、交代の指示が出た。前日、引退発表し、初先発となったFW田中達也が満場の拍手のなか、両チーム、一列になり見送られた。
浦和で12年。新潟で9年。合わせて21年。Jリーグ通算389試合出場。涙をこらえワンダーボーイがスパイクを脱いだ。
「監督、選手に感謝し、この試合に臨んだ。100%出せた。そのためにトレーナーの方にケアをしてもらい良い準備ができた」と話すとともに、粋な計らい応えてくれた町田の関係者への感謝も忘れなかった。
田中と言えば、ケガとの戦い。
思い出されるのは2005年。この年、レギュラーとして日本代表にも選ばれ、これからというとき、10月15日柏戦(7−0)で右足首脱臼骨折の重傷を負った。その後、復帰したものの、度重なるケガに悩まされ続けた。しかし、終わってみれば39歳。
田中本人はここまで続けられたと思っていたのか?オンライン会見で直接、聞いた。
画面越しの田中は「いやまったく思っていなかった」ときっぱり答えた。
ならば、なぜ、続けられたのか?
田中はケアの部分で多くのことに助けられたと話した。多くの監督に出会ったことで、浦和時代の仕掛けるプレースタイル以外のプレースタイルを身につけ、息の長い選手になれたこと。そして最後に挙げたのが、ケガとの向き合い方だった。
「ケガをしてわかったのは、復帰できないケガはほとんどないということ。ひとつひとつ、ケガと向き合ってきた」と語った。
そういえば、あの05年の大ケガが完治したと感じたのが30歳になってからという。それだけの大ケガだったとともに時間をかければ、必ず戻る、そう実感させたはずだ。
この教えを守っているのが湘南MF山田直輝。「ホントですね。ことし頑張っていますもんね」と会見で初めて笑った。
本当のプロとは、同じプロに良い影響を与えられる存在。田中達也もまた真のプロだった。
21年間、お疲れ様でした。
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