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REDSニュース|山田暢久、引退報告記者会見|レッズプレス!!

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山田暢久、引退報告記者会見

1月29日(水)午後、さいたま市内のホテルにて、現役引退を発表した山田暢久の記者会見が行われた。

1994シーズンの加入から20年間、浦和レッズ一筋でプレーし、J1リーグ通算501試合出場の記録を持つ山田暢久の会見ということもあり、TV、ラジオ、新聞、雑誌と各社がそろった。また、かつてのチーム担当記者や、彼の新人時代からを知るクラブ関係者も一堂に会し、レッズの歴史に残る人物の、第二の人生のスタートにふさわしい会見となった。

引退会見に臨んだ山田暢久

今後、山田暢久は強化部に籍を置き、B級ライセンス取得から指導者資格を目指しつつ、スカウティングや各年代の指導研修にもあたると言う。山道守彦強化本部長は「1年間、忙しく頑張ってほしい」と期待を寄せた。また、「将来のチーム監督に?」との声に対し、山道強化本部長は「(現役選手として20年間プレーできたのは)粘りや信念を持っているからということ。何をやっても成就するだろう。そして、必ずクラブを引っ張る人材になる。これからそういうメンバーがやっていくだろう」と、同時期に引退を決断しクラブスタッフ入りを表明した堀之内聖とともに、新しいレッズの歴史になると語った。

《山田暢久》
こんにちは。本日はお忙しい中、会見にお集まりいただき、ありがとうございます。現役を引退するにあたって、家族やチームの仲間やスタッフやサポーターの皆さんにはこの場をお借りして、お礼を申し上げたいと思います。今後はチームの強化部に籍を置かせてもらって仕事をしていくわけですが、チームのために一生懸命、僕が出せるだけの力をしっかりと注いで、チームに貢献したいなと思います。

強化部に籍を置くことに

Q:現役続行の選択肢もあったかと思いますが、引退を決断した理由は?

A:自分の中では第一に、どこのクラブでも良いので現役を続行したいという気持ちがありましたが、僕も家族を持っているので、いろいろなことを考えました。他のチームからもお誘いしてもらいましたが、最終的にはいろいろなことを考えてお断りをさせてもらいました。

Q:浦和レッズの山田暢久として終わりたいという気持ちもあったのですか?

A:そうですね。そういう気持ちもありながら、自分には他のチームでもやりたいという気持ちもあり、ここにくるまでにはすごく悩みました。最終的にはそういう形で終わった方が自分のためにも良いのかなと思い、決断させてもらいました。

Q:最終的に決断した時期と、決断にいたる間に誰からかの言葉などはあったのでしょうか?

A:引退を決断したのは1月の、つい、この間でした。誰の言葉ということでもなく、自分の中で割り切って決めさせてもらいました。

Q:ご家族の反応は?

A:本意かどうかは分からないですけど、自分の決めたことに同意してくれたので、それはそれで僕も良かったなと話しました。

Q:選手生活を振り返って、どういう思いがあるのか、また一番印象に残っていることがあれば教えてください。

A:選手を辞めると思うと、あっけなかったなと、そんな感じがします。この20年間、レッズの歴史とともに歩んできました。いろいろなことがあったので、(印象に残るのは)どれがと言うことは決められないけれど、その中でもやっぱり僕の中では、Jリーグで優勝できたことは一番印象に残っています。

Q:強化部の中でどのようなお仕事をしていきたいと考えていますか?

A:強化部に籍を置かせてもらって、スカウトとしていろいろなサッカーを見たり、育成の(指導者の)方の指導を見たり、自分の中でいろいろと経験させてもらいながら、今年はそういう形でやらせてもらいます。

Q:ゆくゆくは浦和の監督をやってみたいという気持ちはあります?

A:それは、今、そこまでは思っていないですが、今後、レッズに入らせてもらうにあたって、これから自分の道というのがいろいろと見えてきたらいいかなと思います。

Q:サポーターへ、あらためてメッセージはありますか?

A:最終戦で、僕は自分が思っていることや皆さんへの感謝の気持ちを言ってもらったので、あらためて、というのは、なかなか言いづらいんですけれど。20年間プレーさせてもらい、すごく熱い声援やサポートをしてもらったので、本当に感謝していますし、逆にここまで(決断を伝えるのが)延びてしまって、いろいろと心配かけた部分もあるので、それでも本当に感謝しています。

Q:選手生活を終えて、やり残したこと、心残りはありますか?

A:自分の中でプロとして20年間現役でやってこられるとは思っていなかったので、やり残したことは正直ないですね。

Q:晴れやかな気持ちですか?

A:そうですね。気持ち良く、レッズの会社に残らせてもらうので、今後はしっかりと力になりたいなと思います。

Q:今年から背番号6を山田直輝選手がつけるのですが、別の選手がつける姿を見てどのように思いましたか?

A:直輝の結婚式に出席させてもらった時、本人から「6番を自分から着させてくださいと言うことをチームの方に言いました」と聞いたんですけど。僕は全然、そういう選手に着てもらえるのならば、うれしかったし、ぜひ気負わないで頑張ってもらいたいと思いました。

Q:第二の人生の夢があれば教えていただけますか?

A:夢ということは、今は考えられないけれど、レッズのフロントの仕事をしていく上で、自分の行く道を探せればと思っています。

Q:毎年、20年間、この時期になると、キャンプだとか大原で体を動かすことが習慣になっていましたが、今はそれがありません。毎日、何をやっているのでしょうか?

A:長い間、2カ月ぐらい、サッカーをやらなかったことはなかったので、自分の中でも、何と言うのか、ふがいないと言うのか、初めてのことだったので、家族と、ゆっくりとさせてもらっていました。毎日、体を動かしたくてしようがない感じがしますね。

Q:もし、家族から「まだできるのでは?」と言われたら、どうしていましたか?

A:息子もそうだったんですけど、「現役をやってほしい」と言われました。僕もそれに応えたいと言うか、僕も、現役でやりたい気持ちもあったので、ここまで延びたということもありますが。その辺は、うまくまとまらなかったので、こういう形になったことを家族に伝えて、納得してもらったという形になりました。

Q:レッズの選手で良かったなと思うのはどんな瞬間ですか?

A:瞬間は、いろいろなシーズンであるので、なかなか言えませんが、20年間、レッズでやれたことは幸せなことじゃないかなと思います。

Q:山田暢久選手自身、鏡などを見て、20年たったんだなと思うことはありますか?

A:過去のいろいろな本や映像を見ていると、やっぱり若々しい感じがしたので、比べると体力的にもそうだと思いますけれど、年をとったのだなと実感しました。

時折笑顔も見せた山田暢久



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