2012年にはチーム最多9得点を挙げるも、2013年は左ひざを痛めながらのプレーとなった。「なかなか、戦力になれない悔しさ、膝の痛みが消えない」(マルシオ)と心情を吐露。ブラジル人にとって、当時彼が着けていた「10」という背番号は、サッカーの神様ペレが背負っていた番号であり、チームの中心となる存在だ。ゆえに歯がゆさを感じていたのだ。
2014年のオフには、ブラジルで手術と懸命なリハビリを行い、6月の静岡キャンプ前日に大原サッカー場に戻ってきた。マルシオは「ここに来ると家に帰ってきた感覚になる(笑)」と口にすると翌日からキャンプに帯同し、別メニューで汗をかいていた。
折しもこの時、ワールドカップ・ブラジル大会が開催されていた。親日家のマルシオは日本代表を応援。手首には日本の国旗をあしらったミサンガを着け、「私は日本代表を応援しています」と人懐っこい笑顔で話してくれた。
怪我からの復帰後、リーグ戦11試合に出場し、このシーズン限りで浦和を退団することになったのだが、日本を、そして浦和を愛してくれたナイスガイだった。
(石田達也)
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浦和レッズに数多く在籍した外国籍選手。知られざる話やちょっと良い話、選手の横顔を紹介する。
きょう4月22日(水)、紹介するのはマルシオ・リシャルデスだ。
2011年にアルビレックス新潟から浦和レッズへ加入すると類まれなパスセンス、そして正確無比なキック、豊富な運動量で攻撃の柱を担った。
2012年にはチーム最多9得点を挙げるも、2013年は左ひざを痛めながらのプレーとなった。「なかなか、戦力になれない悔しさ、膝の痛みが消えない」(マルシオ)と心情を吐露。ブラジル人にとって、当時彼が着けていた「10」という背番号は、サッカーの神様ペレが背負っていた番号であり、チームの中心となる存在だ。ゆえに歯がゆさを感じていたのだ。
2014年のオフには、ブラジルで手術と懸命なリハビリを行い、6月の静岡キャンプ前日に大原サッカー場に戻ってきた。マルシオは「ここに来ると家に帰ってきた感覚になる(笑)」と口にすると翌日からキャンプに帯同し、別メニューで汗をかいていた。
折しもこの時、ワールドカップ・ブラジル大会が開催されていた。親日家のマルシオは日本代表を応援。手首には日本の国旗をあしらったミサンガを着け、「私は日本代表を応援しています」と人懐っこい笑顔で話してくれた。
怪我からの復帰後、リーグ戦11試合に出場し、このシーズン限りで浦和を退団することになったのだが、日本を、そして浦和を愛してくれたナイスガイだった。
(石田達也)
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