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REDSインタビュー

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インタビュー番外編・高崎寛之(サイゴンFC・ベトナム)/「一度、違う環境でサッカーをしてみようと」。ベトナム語の「数字は1,000まで覚えた」

「REDSインタビュー」は、トップチームやレディースの選手、監督、スタッフ、関係者などのインタビューを掲載するコーナー。今回は、浦和レッズOBで、今季よりベトナム1部リーグのサイゴンFCへ移籍した高崎寛之と「Zoom」をつなぎ、話を聞いた。この時、入国後の2週間の隔離措置の期間中。室内でトレーニングを励みながら、チーム合流の時を待っていた。(12日、合流)


(佐藤亮太)

「一度、違う環境でサッカーをしてみようと」。
ベトナム語は「数字は1,000まで覚えた」



高崎寛之は2008年、駒沢大学からレッズに加入。09年に水戸へ期限付き移籍をしたのち、11年に甲府へ完全移籍。その後、徳島、鹿島、山形、松本、そして20年にJ3岐阜と8チームを渡り歩いた。

その高崎が21年、活躍の場を求めた場所がベトナム1部リーグのサイゴンFC。なぜ、高崎はベトナムに渡ったのか?

RP:ここまでJリーグ通算341試合、86得点をあげてきました。
高崎:理想は、1つのチームで長く在籍することでしたが、必要とされるチームでやっていきたいという気持ちもありました。そのため、多くの移籍を経験しました。

なかにはうまくいかない移籍もありましたが、後悔はありません。自分で選んだ道なので、良かったと思います。

RP:多くのチームに加入する際、早く溶け込むために、経験上、必要なものは何かありましたか?
高崎:若いときの移籍は、コミュニケーション能力が低くて、難しさはありました。年齢を重ねると、自分よりも若い選手が多くなって、積極的に声をかけたりすることもできるようになり、(チームに溶け込むことは)楽にできましたね。

RP:浦和にいた時のイメージではコミュニケーション能力が低い、とはあまり感じませんでしたが。
高崎:若いときだったので、可愛がってもらったというイメージがあったかもしれませんね。年齢を重ねると、面倒を見る役割の方が多くなって。面倒を見る方が良かったですね。

RP:今回、ベトナム1部リーグのサイゴンFCに加入すると聞いて、驚きました。どのような経緯があったのですか?
高崎:昨季、岐阜に拾っていただいて、日々のトレーニングから100%で取り組み、僕なりに全力を出しました。数字は少なかったですが、自分なりに精一杯にやりました。
ただ、自分の求めているものと昨季までのキャリアとのギャップを感じました。そのギャップを自分がなかなか受け入れられないというか……。試合に出たら、得点を取りたい。そのために毎日の練習も全力でやりました。
でも、モヤモヤした気持ちはなかなか消えませんでした。
そんな時、12月上旬、ベトナムからオファーをいただきました。モヤモヤした気持ちでサッカーをするのならば、一度、違う環境に身を置いてプレーしたいなと感じました。妻に相談したところ、「任せる」と言ってくれました。こうして一度、違う環境でサッカーをしてみようという気持ちが強くなりました。

RP:サイゴンで同僚となる松井大輔選手や、タイリーグにいる細貝萌選手など、近年、東南アジア諸国にはたくさんの日本人選手がいます。ベトナムリーグの印象はいかがですか?
高崎:今回のオファーで、ベトナムにリーグがあることを初めて知りました。インターネットで調べるなかで、加入するサイゴンFCはリーグ戦を3位で終え、今、新しいチームを作ろうとしています。
そこで日本人選手が、僕を含めて3選手(松井大輔、苅部隆太郎)、加入することになりました。このチームでやれることは良いことですし、チームにとってもプラスになるように、そして行くからには結果にこだわりたいです。

テレビでプレシーズンマッチを見ましたが、昨季の優勝チームに3−1で勝ちました。外国籍選手や代表選手はいなかったようですが、レベルは決して低くない印象でした。(サッカーのタイプとしては)ハードワークというか、フィジカル重視のサッカーで、J3と似ているなと感じました。

RP:小柄な選手が多いなか、高崎選手の長身は、かなり存在感が出ると思いますよ。
高崎:呼ばれている以上、活躍しないとダメですし、自分にプレッシャーをかけ、1年過ごしたいです。

RP:ひと足先に松井大輔選手が現地入りして練習参加していると聞いています。
高崎:松井選手は12月中旬にベトナムに入って、すでに練習に参加しています。

RP:高崎選手はサイゴンFCでプロ14シーズン目に入りますが、ここまで息の長い選手になれた理由はどこにあると考えますか?
高崎:ふと思うのですが……、僕は茨城の田舎のほうで生まれて、家から近い小学校、中学校に通って、普通の県立高校に通ってきました。こういう経歴のJリーガーって、ほぼいないと思います。多くは、有名強豪校やクラブユースに入るものです。

もともと(自己評価として)自分を高くもっていないと言いますか……「今はこのぐらいだけれど、もっとやりたい!」という向上心を持ってずっとやってきました。

サッカー選手になったのも、サッカー選手になりたいと思っていたというよりも、サッカーが好きで、サッカーをやり続けた結果、現在があると思っています。

今も、その気持ちに変わりありませんし、少しでも長くサッカーをやりたいという思いがあります。

毎日のトレーニングで成長したい、まだまだうまくなりたいと思って、サッカーをやっています。それが一番の力になっています。

RP:そうした気持ちや思いがチームメイトに良い影響になればよいですね。
高崎:環境ではないと思います。どれだけうまくなりたいか、どれだけサッカーが好きか、そのことが一番重要なのは、自分が体現してきています。少しでも伝えられれば、と思います。

RP:ベトナム語は難しいと聞きますよ。1つの単語でも言い方で意味が全然、違うと聞きます。
高崎:今、ベトナム語を勉強していますが、ほぼカタカナですがイントネーションで意味が違うので、なかば諦めています(笑)。Aに関しても伸ばしたり、止めたり、口の開け方で変わるようなので、そんなのできないよ……と(苦笑)。

RP:サッカーですと、前後左右からですかね?
高崎:それもそうですが、数字は1000まで覚えました(笑)[実際に背番号や数字などを教えてくれました]

RP:サイゴンFCでは、背番号9ですね。期待の表れです。
高崎:そうですね。僕も今年で35歳。同級生とか、今まで一緒にプレーした選手たちが引退しているのは悲しいですし、新型コロナもあって、若手を伸ばすとか、若手を多く獲得することが主流になりつつあるなか、少しでも長くサッカー選手をやっていきたいです。



(聞き手:レッズプレス!!ライター佐藤亮太)

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