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REDSPRESS EYES|闘莉王、覚悟と感謝に満ちた19年間〜引退会見|レッズプレス!!

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闘莉王、覚悟と感謝に満ちた19年間〜引退会見

今回は、今季限りでの引退を発表した田中マルクス闘莉王選手について。1日、開催された引退会見のレポートをお届けします。


『今日をもちまして、あっという間の19年間のプロ生活を引退します。たくさんの人たちに、ファンに、サポーターに、こんなしょうもない人間をね、支えて頂き、感謝の気持ちで心が、胸がいっぱいです』

実に、闘莉王らしい引退会見だった。

2019年12月1日午後、この日、田中マルクス闘莉王は、選手として現役生活から退くことを発表した。

赤いユニフォームに初めて袖を通したのは2004シーズン。さいたま市内のホテルで開かれた加入会見で、終始、緊張した顔つきだったのを思い出す。

あの日は、素晴らしい機会に恵まれ、会見直後の、興奮冷めやらぬ中、扉の外にあったソファに座り、単独でインタビューマイクを向けることができたのだった。最初の大きな仕事を終えたばかり。誕生日を迎える前の、22歳の闘莉王はえらく気疲れしていて、その顔はまだ硬かった。ひと息つくと、照れ隠しなのか「あまりうまく日本語が喋れませんが……」と話しながら、問いかけに丁寧に答えてくれた。

そう、闘莉王はいつも真摯に向き合っていた。

そして、いつも全力だった。

引退会見で決意した経緯を問われると、彼は『(自分の心の中で燃えている炎が)少しでも消えかかりそうになったら、時はどんな時であれ、歳も関係なく、引退しようと。サッカーに対して失礼がないようにやっていかなければいけないと自分で決めていた』と言うのだ。

“サッカーに対して失礼がないように”

心にスッと入ってくる言葉。闘莉王そのものを表現していた。

実は今シーズン、2月に彼と再会した沖縄のキャンプ地で、すでに「引退」の二文字を口にしていた。「今年で引退しようと思っているよ。だから、大事に1年を過ごしたい」と話していた理由は、ピッチの上で闘志あふれる姿を見せたいという想いと共に、行く先々で、敵味方関係なく、サッカーを愛する人々に感謝の想いを伝えるためだったという。

『(最後の1年は)今まで敵として戦ってきた相手チームのサポーターにも挨拶がしたいな、と。サッカーは当然ですが、少しでも感謝の気持ちを伝えたかったので(今年を最後のシーズンにして)ちょっと消えかかっていた炎を最後のエネルギーに変えて1年やりました』

この言葉を聞き、闘莉王にとってサポーターとはどのような存在なのかをより尋ねたくなった。そんな質疑応答では、いくつか浦和にまつわるエピソードが出てきた。

Jリーグの中で印象に残っているシーンは、と問われると、2つの思い出を挙げた。『レッズのJリーグ初優勝は印象的で、あの埼スタが、あんなに盛り上がる……。あの埼玉が、あれだけ盛り上がること、もう一度あるかどうか。あれだけ、埼玉県民が浦和レッズサポーター、ファンで、あれだけ喜ぶ瞬間を、あのピッチに立たせてもらっていたことは、やっぱり忘れがたい』と話した。もう1つは、浦和を退団し、移籍した名古屋グランパスでの初タイトルだ。『あれだけ期待をされ、会見でも“漢にするぞ”という言葉を発信し、自分に対してとてもプレッシャーがかかった中で宣言通りのタイトルというのは、最後の瞬間はピッチに立っていなかったですが、すごく心に残る』と振り返った。

そして、尋ねた。

闘莉王にとってのサポーターという存在はどういうものだったのだろうか。

「若い時に、相手のサポーターを挑発し、ビッグマウスな一面もあり、時には自分のサポーターとも言い合い、ケンカという言い方はよくないかと思いますが(苦笑)、キレイな言い方では『ディスカッション』をし、時には檄を飛ばし、時には檄を飛ばされ、真剣に向き合ってきました。おそらく嫌われている、僕のことを『嫌いだ』と胸を張って言える数多くのサッカーファンがいるかと思いますが、でも、最後の最後にはやっぱり、常にリスペクトしていましたし、(その人たちのためにも)常に勝ちたいな、と。たまには血が頭に上り、申し訳ないことをたくさんした中で、でも、その人たちがいなければ、この(会見という)瞬間もないし、サッカーはつまらないし、だからこそ、最後の1年は、本当は全クラブのサポーターの人たちに頭を下げ、『すみませんでした』と、それに『ありがとうございました』と本当に言いたかったです。J2だけでしたが、今度、機会があれば、そのスタジアムへ行き、許可がもらえれば、今までまだ言っていないサポーターたちにも頭を下げ、『すみませんでした』と『ありがとうございます』を言いたいなと思います」

もう1つ、質問させてもらった。

現役選手たちへのメッセージだ。

闘莉王がピッチを去った今、来シーズンから彼のように人々の心震わす選手は、今いる選手たちなのだから。そして、この言葉はきっと、今後のJリーグの舞台に立つ“未来のJリーガー”にも響くはず。いや、感じてもらいたい言葉だった。

「今は、本当にキレイなサッカーばかり。そういうところにサッカーが進化していっている、そういうことを求められている中での、やっぱり泥臭く、多少、技術がそんなに優れなくても、僕みたいに、こう一生懸命にやって、サポーターに喜ばれる姿勢を、なくして欲しくはないな、と。そういう気持ちを伝えらえるような選手も消えて欲しくはないな。たくさんの人たちがスタジアムへ行き、そういう姿を見たいファンたちもたくさんいる中で、是非とも、そういうプレーヤーを、どんどんとこう消えないで欲しいな、という風に思います」と彼らしい言葉で想いを伝えてくれた。

19年間のプロサッカー選手としての人生。

その中で、浦和レッズと歩んだ時は、わずか6年だ。浦和レッズで、社長や監督から絶大なる信頼を受けながら、叱咤激励しあえる大切な仲間たちと、ファン・サポーターと一緒に最高の非日常空間を生み出した。浦和レッズで、自分の真意を理解されずに厄介者のレッテルを貼られ、悲しい想いを知ることもあった。彼がいた時代は、浦和レッズの歴史が、良くも悪くも大きく変わった激動の6年だったと言える。

田中マルクス闘莉王。

この先もずっと、このクラブにとって唯一無二の存在だ。

19年間、闘莉王が誇りに思ってきたこと。

「一瞬も1秒も手を抜くことなく、全力で気合いを入れてやってきたこと。時には、頭が割れてでも、筋肉が離れても、鼻が折れてでも、ピッチに戻ろうとしたその気持ちが誇りに思います。あと、全力の姿勢が、それを生んでくれたかはよく分かりませんが、たくさんの素晴らしい仲間に出会えたことも誇りに思います」

(レッズプレス!!ライター有賀久子)


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